< 仏 教 問 答 U >


第百二
汝の申されるところは
菩提樹の下で観念されたることがらで御座いますか。

答え
然りで御座います。ただこればかりでは御座いません。
仏教の全体が皆樹下観念の際、仏の心中に出現したもので御座います。

第百三
仏の樹下に観念されしは何日間で御座いましたか。

答え
四十九日間で御座いました。

第百四
その後、如何されましたか。

答え
その後彼は、「あじゃぱら」と申す木の下に行きて考えられますには
この法を以て一切衆生を歓化せんと思い定めされました。

第百五
初めは誰に対してその法を教えられましたか。

答え
初め彼の断食を廃せられましたと
お見捨て去りし所の五人の者に向いて教えられました。

第百六
何処で彼の五人に遇われましたか。

答え
「ばなれす」の近くにて「いんぱたな」と申す地で御座いました。

第百七
彼等は容易に聞きましたか。

答え
彼等は初めより聞意は持たなんだが
仏の姿の正しきと徳の盛んなるとに感じて
知らず知らず耳をそばだてて聴聞致しました。

第百八
その時、仏の論ぜられしは如何なることで御座いましたか。

答え
仏説千三転法輪経と申しまして
教法の原則を説き明したる経文で御座います。

第百九
その結果五人の者に如何なる感じを与えられましたか。

答え
その中の年長の”コンダンヤ”は先ず仏説を證りて
阿羅漢道に入りました。
続いて他の四人もこれに従いました。

第百十
その次に改宗した者は誰でしたか。

答え
富豪の少年にて”ヤサ”と云うもの及びその父とで御座いました。
そして五ヶ月の後、六十人の弟子を得ました。

第百十一
その時に至りて仏は如何されましたか。

答え
諸々の弟子を集めて四方に赴かしめて教法を弘通めさせ
自身は「うるびら」の近くにて「せなに」と云う所へ行かれました。

第十二
現今世界中に多くの仏教徒が御座いますか。

答え
佛教の信徒は他教の信徒に比しても
その数は多く御座います。

第百十三
現今世界の人口は何程御座いますか。

答え
凡そ、十三億人で御座います。

第百十四
その中仏教徒は何程御座いますか。

答え
凡そ五億人で御座います。
僅かのことで半分御座いません。

第百十五
仏は五ヶ月の間説法して僅か六十人の弟子を得られましたか。

答え
然り、僅かにその数のみで御座いました。

第百十六
仏は正覚成就の後、何年間世にいまして説法なさいましたか。

答え
四十五年間で御座いました。
この間弟子となりました人が沢山御座いました。
”婆羅門”と”旃陀羅”と”富貴”と”貧賤”とを云わず
皆その弟子となりました。
この仏弟子の中には、当時有名なる学者も御座いました。

第百十七
仏の出家以前の妻子は如何致しましたか。

答え
初に”ラーフラ”次に”ヤソーダラ”何れも世を捨てて仏道に入られました。

第百十八
その父王は如何されましたか。

答え
これも同じく仏教を信仰されました。

第百十九
仏の在世中は常に諸方を巡りて説法をさられましたか。

答え
日照り八ヶ月は国より城を経て人民を教え
雨天四ヶ月は一ヶ所に駐りて、その弟子を集めて特別の訓戒を施されました。

第百二十
佛教の僧侶にして猶現今どんな行ない習うものが御座いますか。

答え
然り、その人はたんと御座います。

第百二十一
仏の弟子中にて誰が最も多く仏の慈愛を受けましたか。

答え
”シャリプトラ”と”モッガラナー”とで御座いました。

第百二十二
佛教の僧侶と他教の僧侶との異なるところが御座いますか。

答え
他教の僧は人と神との中に立って罪悪の赦免を願う紹介人だと申します。
佛教の僧は神の存在を許しませんから
その恵を期待しません。
唯自身に佛教の道を以て身を修め併せて
他人を教えて仏教を信ぜしむるを以て
任と致しまするので御座います。
他教に申している実体ある神は
我々より見れば愚か者が想像を以て虚空に書きたる
大いなる影法師の様なるもので御座います。

第百二十三
仏教徒は万物すべて創造者の力に依りて
天より生じたと云う説を信じますか。

答え
仏は常に常住不滅の者にありと説いて居られます。
即ち虚空と涅槃とで御座います。
この虚空より生じたるものは
常に固有の運動の理に従って
その生存の時期が終われば去りて跡を留めずと申して御座います。
無より有を生ずる道理は御座いません。
我々は神の異蹟などを信じませんから
万物創造は許しません。
個様ですから元より創造者と云うは信じません。

第百二十四
仏は偶像教を主張されましたか。

答え
主張致しませんばかりでは御座いません。
却ってこれを廃棄して御座います。

第百二十五
しかし、仏教徒は仏像の前に跪き香花を供え
又は仏の遺物霊跡に参りてこれを敬いするでは御座いませんか。

答え
然り、しかし偶像教信者の心を以て左様に致すのでは御座いません。

第百二十六
その違うところは如何で御座いますか。

答え
我同胞の仏教信者の偶像を拝するは
これ以てその信じるところの見るべからざる神体の代表として居るので御座います。
然るに一歩を転じて他の偶像信者の風を見ますに
彼等はこれを以て天地間に在らざるところなき神体の一部分を
含有せりと認めて居ります。
仏教信者の仏像その他汝の仰る所の者を崇拝する訳は
唯これ人の世の中で古来一人の仏陀世尊の記念物として
左様にするので御座います。

第百二十七
呪詛・祓い・除鬼・舞をなし又吉日・良辰を選ぶことなど
皆佛教の一部に属することで御座いますか。

答え
皆これ佛教の理に背いて居ります。
個様なものは古え外道邪教の中より転入したもので御座います。
梵網六十二見経の中に深くこれらのことを
排斥したる明文が御座います。

第百二十八
佛教と他教とは明らかなる区別が御座いますか。

答え
その要点を挙げれば佛教は神によらずして無上の善を説き
霊鬼と云うべきものを用いずして生存の保続を談じ
天堂の標準を立てずして無上の幸福を示し
人に代りて罪を償う救い主を立てずして出世の要道を教え
礼拝・祈りなど僧侶又は尊者の紹介を頼まずして
自ら贖罪の主となりてその身を救うの法を教え
また無上の善はこの世界、この一生に於いて
達せられるものとして居ります。

第百二十九
普通の佛教には真正ならず学理に適はないものは
一つも含有しては居ませんか。

答え
永らく伝わりたる宗教に何れも免がるることのできない弊害の在る様に
佛教もまた真・偽が混じりていないとは云えません。
黄金の美質ですらなお雑鉱を含有して居りますと申すと
一般仏教強信者の想像と熱心と併せて他教より転入して後も
なお元の偽法を脱することが出来ないのであるから
幾らか残っているものを混ぜて随分今日廃すべきものと
伝襲して居ないとは申されません。

第百三十
仏教は近世の教育及び科学の学問に反対したもので御座いますか。

答え
そうでは御座いません。仏がかつて”らぐあぐりは”の近くにて
竹林の中にありて説きたまいし仏説如来獅子吼経に於いて
学術及び道徳の教育を以て弟子を教えるは
師たるものの責任じゃと申されました。

第百三十一
佛教の独断と申すべき者にて唯以てこれを仰ぎ
敢えて人の疑問を許さない者が御座いますか。

答え
事物一として故なく信じるなと教えて御座います。
我ら大聖釈尊は常に告されます。
唯人の説くからと云うて信受して起したる想像を信じるな
聖賢の書は聖賢これを著したと云うて信じるな
梵天の命ずる所じゃと云うて信受して起したる想像を信じるな
また一時の仮定より引き起こした推度法から求め
また類似法に依りて必ず発すべきと見えた故を以て信じるな
書説・教伝共に唯我意識と道理とに適う者なれば即ち信ぜよと教えて
終りに至りて仏が告げたまうにはただ汝が聞いたからと云うて信じるな
ただ汝信じれば須く汝の意識を以てせよ。
しかしてその信じるところに応じて遺すなと教えられました。

第百三十二
佛教にては偽善者を許しますか。

答え
”曇摩鉢陀”に申して御座います。
美しき花に香芬のない様に
善言ありて善行なき人は貴ぶに足らぬと御座います。

第百三十三
仏教には悪に報いるには、悪を以てせよと教えますか。

答え
”曇摩鉢陀”の中に申して御座います。
人愚かにして我に冦をなすものあれば
我これに報いる寛大の恩徳を以て彼を保護せよ
彼悪を重ねてくるならば我徳を重ねて彼に報いると
是は阿羅漢の修むべき道で御座います。
悪に報いるに悪を以てするは
佛教に於いて深く戒めるところで御座います。

第百三十四
佛教は学術の表式というべきか
また道徳の法則というべきもので御座いますか。

答え
佛教は単純に道義学と申されます。
その依るところは有情と無情とに論なく
万有みな普く行なわれて悖らないところの
運動と変化との法則で御座います。
万物の始めを考える様な無用の工夫を費やす様な劣らんことは致しません。
”摩論迦修多”に申して御座います。
”まるんか”と申す人、仏に万有の原始を問いました時
その問うところが無益だからと云うて答え賜わなんだ。
佛教にては事物みな現存のままにして
その起源の如何には関わりません。
ただ務めるところは現在の悪業と憂苦をなおすの道を
求めるのみで御座います。

第百三十五
佛教にては霊魂の不滅を説きますか。

答え
霊魂と云うは佛教にては無智迷昧の輩
その妄想を表するの語と見なして御座います。
万物変化の法則に従う者であるから
人間でもこの法を免れることは出来ません。
況やその各物体に於いてをや。
いやしくも変化を受ける以上は常住なるものでは御座いません。
個様な理で御座いますから
不変不滅の残りが有る道理は御座いません。

第百三十六
もしも人魂の念を廃するならば、人々異なりたる生存あるの念を
与えるものは何で御座いますか。

答え
「たんは」と云うて生存に於いて飽き足らないと云う欲が御座います。
人々がこの世に於いて為しつつあることは
皆未来に於いて賞罰の果を受けます。
且つ欲の為に業の所感によりて再び未来に生を受けることで御座います。

第百三十七
後生を受けて出る者は何で御座いますか。

答え
蘊と申して人となる新集合で御座います。
この理由は人の前生臨終の愛着より起こるので御座います。

第百三十八
その蘊と云うものは幾つ御座いますか。

答え
五つ御座います。

第百三十九
その名称は何と申しますか。

答え
一には色、二には受、三には想、四には行、五には識。

第百四十
簡単にその説明をお願いします。

答え
色は物質で御座います。
受は感受で御座います。
想とは想念。
行とは心の発動で御座います。
識とは心の勢いで御座います。
これに依りて我身を成し自身の在ることを識り
我と外物と相通じ相知ることが出来るので御座います。

第百四十一
何故にこの五蘊の集まりに違いありて人々違うので御座いますか。

答え
前生にて作りたる業に依りて違うので御座います。

第百四十二
業の支配を受けて新生を起す勢いとも云うべき者は何で御座いますか。

答え
「たんは」即ち生まれんと思う心で御座います。

第百四十三
再生の基は何に依るもので御座いますか。

答え
天地間の万物に通じて行なわるる法則では
正と中と和とを得て完きものなることを
認識するに依るもので御座います。
仏教徒は一生涯を以て一人の事業に就いて賞罰を尽くすには足らんと信じます。
生死輪廻と行尽しては一人幾生涯の善悪の多少に応じて自ら遅速は御座います。

第百四十四
今新たに五蘊の集まりて生まれたる人は
その前生の「たんは」の為に得たのもですから
やはり前生と同体で御座いますか。

答え
一方から見れば新生涯の様に御座いますけれども
或る一方よりこれを云えば違うところが御座います。
今生でも五蘊は不断変わりています。
例えて申しますならば
今年四十歳になる者が御座います。
その人は十八歳の若き時と違いませんけれども
その肉体の新陳代謝するのとその気性の変わりとに就いて見れば
全く別物と云わねばなりませんが
併し人の老后の苦楽はその若きときの考えと行ないとに
因りて定まるもので御座います。
してみると再生した人にしても五蘊が新たに集まったと云う
違いのあるのみでやはり前生の者と違うことは御座いません。
故に今世にてもその前生の行為の善意に応じてその果報を受けるので御座います。

第百四十五
併し今生の老人はその心体の変わるのと関わらず
なお若き時の事を憶えています。
然るに前生の事を記憶して居ないのは何故で御座いますか。

答え
如何となれば記憶は五蘊の和合中に在るものだから
五蘊が新たに集まれば記憶もまた随って新たに御座います。
然ども前生の記憶は全く滅するものでは御座いません。
シッタルダの成仏のとき前生にさかのぼりて
明らかに見徹したまえり。
もし記憶が転生のたび毎に無くなるものなれば
太子も前生の事を顧みることは出来ないで御座いましょう。
我々も修行して「じはな」と云う位になると
よく前生の事をよく知ることが出来ます。

第百四十六
生死を輪廻してその終りに帰着するところは何処で御座いますか。

答え
涅槃(ニルヴァーナ)で御座います。

第百四十七
佛教に於いては人にして霊怪と呼ぶ現象を発生しむるの潜力ありと致しますか。

答え
左様です。けれどもこれは天然の現象で御座いまして
これに反するものでは御座いません。
これには一種の法則が有ると経の中に説いて御座います。

第百四十八
その学問の部分を何と申しますか。

答え
パーリ語の名では「いぢーびーだこーな」と申します。

第百四十九
何程の種類が御座いますか。

答え
二つ御座います。
一つを「らうきか」と申します。
即ち薬を用い呪文を誦へ或いは他の力を仮りて
現象を生ずる効力を得ます。
二つを「ろこったら」と申して
自ら智慧及び徳を増してその力を得る者を申します。

第百五十
個様な学問の力ある人を何と申しますか。

答え
禅那と云う戒を修める人であって、段々と得るので御座います。

第百五十一
この「いぢー」(如意身)と云う力は失せるもので御座いますか。

答え
「らうきか」は失せましょうが「ろこったら」は
一度得れば復び失せる者では御座いません。

第百五十二
仏はこの「いぢー」の力を有して居られますか。

答え
然り、全く備わりて御座います。

第百五十三
仏の智慧は何程及びますか。

答え
仏は可知と不可知と能と不能との境界と善悪業の原因とを識り
有情の心を悟り万物の性質知覚の妄執及び情欲の起こるのを
止める方を知る人々の前生及び後生を見抜きたるなど一々申されません。

第百五十四
汝は先に梵天なるものがいろいろと形を変えて
シッタルダへ見えたと申されましたが
仏者はかかる者と如何なる関係あるものと信じますか。

答え
佛者は個様な者は格別の境界に住するものと信じます。
仏説には人々その下劣心情を制する事が出来れば
阿羅漢の様に梵天の上位よりも優れて
それより下の梵天を使い回すことのできるに至ると
申して御座います。

第百五十五
梵天の種類は何程御座いますか。

答え
三種御座います。
一には欲界。これはなお情欲の支配を受けるもので御座います。
二には色界。一段高うしてなお夫々の別形を有したるもので御座います。
三には無色界。一番上等の位にありて実体を持たないもので御座います。

第百五十六
個様に梵天は恐るべき者で御座いますか。

答え
すべて心が潔白に有りて勇猛なる者は一切恐ろしい者は御座いません。
悪しき梵天は近寄ることが出来ません。
或る梵天は悪人を苦しめます。
これは悪人が梵天を誘い出すので御座います。

第百五十七
仏の此土を去りて涅槃に入り玉いし時のお姿の模様をお話し下さいまし。

答え
自ら思い立てたる事業を終り
その教を成就し公衆を教えて涅槃に入るの道を示して後
この世を去る時が参りました。
成仏の後、四十五年の五月満月の夕べより
百二十里なる”クシナガラ”と云う所へ行って
臨終間近くなりて臥床を二本の「さる樹」の間に移し頭北面西にて
初夜”はまりや夫人”の為に法を説き
二乗に及びバラモン教の識者”すばたら”を説伏し
その後、諸々の弟子と談話し明ける頃終に
三摩地の内位に入られました。

第百五十八
仏の最後の語、及び云々すべき話しは何で御座いますか。

答え
仏の告げ玉うには、汝等よくこれを憶えて居よ。
人の諸部と力とは分離するものである。
『汝等精進にして解脱を勤めよ』
と云うて後は何事をも云われませなんだ。

第百五十九
仏の一生に関係したる要用の年月をお尋ね申します。

答え
「かりゆが」二千四百七十八年の五月の金曜日に
「ういさ」の星宿の下に生まれて、二千五百六年に森林に行き
二千五百十三年水曜日の暁に成道せられ
二千五百五十八年の五月の望
即ち火曜日に、八十歳にて涅槃に入られました。

第百六十
仏はその教法を書物に記されましたか。

答え
この頃、印度にては書いて伝えることは流行りませなんだから
仏は四十五年間に教を弟子に記憶させておられました。
併しこれを記録する事は禁じられなかったから
”ビンビサーラ王”は臣下に命じてその教の要を金版に記されたることは
「たつらいばんが修多」と云える経文に載せて御座います。
仏の滅後、安居の時になりて五百の羅漢が集まりて
大迦葉その上席となりて僧侶の規則及び教法などを
議決したことが御座いました。

第百六十一
その公会は何処に集まりましたか。

答え
「らずあくりは」と申すところの近く「さったはんに」と云う洞穴の中に集まり
異口同音に仏の教語を朗誦したと申すことで御座います。

第百六十二
時に他にても集合が御座いましたか。

答え
第二の公会は、仏滅一百年の後に”やさと”と云う人が上席となりて
「べーさり」の「わるからま寺」に於いて開き
第三の会は、二百二十六年「ぱとな」の「あそからま」と云う寺にて
「もがりぷった」上座となりて集会したことが御座います。
これは「あそか王」の発起に応じたもので御座います。

第百六十三
「あそか王」とは如何なる人で御座いますか。

答え
「マガタ国」の大王で御座いまして
この頃、亜細亜全州にて最も強き勢いを有して居られました。
即位の十年に佛教に帰依し世界中に教を広めることを勤めて居れました。
仁徳ありて民を愛せられましたから
仏者は今に至るまでその徳を讃嘆して居れます。

第百六十四
その王が佛教の為に力を尽くされたる事柄の大略を知りとうございます。

答え
先ずその大略を申しますならば
寺院を建て、公園並びに病院などを起して人畜に益を施しました。
臣民には佛教を守らせました。
また「ぱとな」の集会後は、他国に宣教師を出して佛教弘通に力を尽くし
且つギリシャの四国の王には使いを以て佛教の肯を伝えました。
その他、内国にては教法の乱れない様に
司法省及び教法省などの役所を設け
又は佛教の原理に基づいて女子の教育をもなされました。

第百六十五
この関係に就いて確かな証拠が御座いますか。

答え
五十年以来、印度及びアフガニスタンの中にて「アソカ王」の政令の岩谷
または石碑に刻み付けて有ものを見出しました。
これはインド政府で英語に訳して発行して居ります。

第百六十六
その布令に依ると佛教の著明なるものは何で御座いますか。

答え
その教は温厚寛由融にして、四海皆兄弟の誼を全うし
誠にして且つ正しき法で御座います。
個様な訳で御座いますから
今では欧米の学者が段々佛教を慕う様になって居ます。

第百六十七
近頃、英国の大家にしてキリストの教育者より発刊の書物には
何と申して居りますか。

答え
その中に申して御座います。
布令に記することは皆信ずべき正しきことである。
父母に孝行なる事、童子及び盟友・慈恵なる事
下等の動物を愛し、下の位なる者を憐れむこと
僧とバラモンを崇敬すること
貪欲・憤怒・暴行・奢移などを慎むこと
寛容にして物にして施すことなど皆「アソカ王」の
その民に教えられし個條で御座います。

第百六十八
佛教の初めてセイロン島に伝わりしは、何の時代で御座いましたか。

答え
「でーわなんぴゃちつさ王」の世に当たり
「あそか王」の王子「まひんだ」と申す人仏門に入りて僧となり
セイロン島に来て仏法を広められました。
セイロンの王も仏の弟子となりて、この王子と随従の僧六人とを
厚く待遇して「あぬらたぷら」と云う所に
「つうぱらま」塔を建てられました。
また、この王子の妹にて「さんかみった」と云える人も
仏門に入ってその後多くの比丘尼を伴来たりて
セイロンに於いて婦女子の教育をなされました。
この「さんかみった」の来られた時
釈迦牟尼世尊の古しブッタガヤの菩提樹の下に在て
正覚成道なされし時の樹の枝を持ち帰りて
「あぬだら」の前に植えられた者で御座いましたが
現今に至りてなお繁茂して居ります。
是は即ち世界の歴史の上で最も古き老木で御座います。






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