< 伝承 仏教神話 VV >

〜 清浄潔白 〜


 小ざっぱりとした木綿物は気持ちがよい、新しい青畳は居心がよいという我国民は清
潔を愛する民族である。隣国の支那人などと比べては大きな相違である。日本人の様に
盛んに全身浴をする国民は外にはあるまい。東京市の湯屋は八百余軒以上もあり、其
外中流以上の家には各湯殿があって、百三十万の住民の中凡そ三分の一づつは毎日
入浴する割合だということである。ベルツ氏は日本の気候家屋の割合にリュウマチの少
ないのは、全く日本人が銭湯を好む結果だろうといって居る。銭湯の起源は新しいにし
ても、湯あみ、水あみの習慣は太古からあったのである。かつ日本全国到る所に温泉の
あることも他国には例がないので、伊豫道後の湯には天皇も行幸になって、推古四年の
道後の碑文は我文学史中の最古文の一標本である。其外、伊香保、有馬、箱根等の湯
は皆歴史上に名高いのである。独逸人のケーニグスマークという人の書いた『日本及び
日本人』という書の中には日本人の入浴の事を賞揚してこれだけは大いに真似すべき
事と書いてある。伯林市などでは公衆衛生の必要から、至る所に浴場を公認して労働者
等の入浴を奨励して居る。余は或夏田舎の冷泉浴場に遊んで、夏の事とて日々入浴し
たが、同行の独逸人はどうしても這入ろうとはいわぬ。全身冷水摩擦をやれば別に入浴
の必要なしという論である。同人の言に、日本人の短命なのは恐らくは温浴を好む結果
であろうなどと言って居った。ヂッチンケンといえば人口八千ばかりの町であるが、そこ
には一軒の湯屋もない。ある滑稽雑誌に若夫婦が新宅を探しあるいて、家主と問答中、
家主がここには湯殿もついて居るというと、亭主の答えに、なに我等はめったに病気に
ならぬから湯槽は入らぬという話を見た事がある。病気にでもならなければ湯に入らぬ
積りとみえる。中学校の読本に日本人に記事を揚げて、入浴の事を記し、独逸もむかし
三十年戦争までは盛んに入浴したが、その戦争の疲弊後、この風が廃ったのでこれは
復古すべき事であると書いたるのも見た。日露戦争の最中でも、日本軍人の最も不自
由に感じたのは入浴の不便の事であったらしい。とにかく日本人は身体をきれいに洗っ
てサッパリとすることが好きである。ザウベルカイト(清浄)は日本の特性であるとは、西
洋人の日本に関した記事には必ず書いてある。チャンバレン氏は日本は多くの事柄を
支那から輸入したが、これだけは日本特有だといって居る。支那あたりから来れば、殊
に其差異の著しいのに感ずるであろう。

 日本人の全身浴は伊弉諾尊の神話にあらわれて居る。伊弉冊命がお隠れになったの
を黄泉国に行って覗いて、汚いものをみたいというので、檍が原に御禊をなされた。御禊
は身ソソギて身体を清浄に洗う事である。目に見たばかりで身体が汚れるというのは潔
癖の甚だしいものといわねばならぬ。すべて上代の日本人は身体の汚れも、精神の汚
れも殆ど同一に考えて居って身体を清浄ににすれば精神も自ら綺麗になると考えたので
ある。我等の入浴して、垢を落とした後では、神も自ら爽快になるから、こう考えたのも
自然である。それでもし道徳上の罪悪を犯したものでも身滌をすればその罪が消えてゆ
くのである。多くの宗教で懺悔をすれば罪が消えると考えたと同様、身滌をすれば罪が
消えると考えたのである。

 素盞鳴尊が神逐ひに逐はれ給ふときは、髭を切り爪を抜かせられたので、これは贖罪
の為である。このはらえの思想は祝詞の大祓祠によくあらわれて居る。これは毎年六月
十二月皇城の朱雀門で行われたので、天下の万民が知らず識らずの間に犯したすべて
の穢や罪をはらふ為である。其文をみれば、人々の罪はまづ河水とともに流れていっ
て、早川の瀬に居る瀬織律姫という神が大海に持ち出す。そこでは速開都姫という神が
之を一呑にのむ。それを気吹戸主という神が根の国、底の国という汚い国へプーッと吹
き放って仕舞う。根の国、底の国に居る、速佐須良姫という神は、之をどこかへさすらい
無くして仕舞うというのである。こういう風に郵便物の様に順々に神たちの手にわたって
遂には大海へさらりと流して仕舞うのである。この祝詞の中には身体の汚れのみなら
ず、色々な罪悪も数えてある。即ち一年に二度づつ半年間の汚れをも流して仕舞い、忘
れて仕舞って、又新しい生活をしようというのでる。これは恒例の、祓であるが其外に臨
時の祓というものもあった。又朝廷のみならず、民間でも祓の式を行った。中古の物語
日記にははらえの事があちらこちらに見える。百人一首の

”風そよぐならの小川の夕ぐれはみそぎぞ夏のしるしなりける”

も六月の祓である。菅や茅で輪の形を作り、その輪をくぐる事は、今も神社で行って居
る。紙で形代をつくってそれに男女の別年齢を記して祓ふ事も現今行われて居る。皆む
かしの余波である。

 伊弉諾神の御禊の時その汚れから生まれ出た神が即ち禍日の神であった。洗い落し
た汚れから禍の神が出るというのは面白い考で、それだから身体が汚れれば禍が身に
くるというのである。成程垢をためておけば、バクテリアも堆積して病も惹起し易く、遂に
は死にもするから今の衛生学からいっても尤もな考といわねばならぬ。即ち現生を重ん
じ死を忌むの思想が根本になったのである。元来男神は生活光明を代表し、女神は死
闇暗を代表されるので、男神が御禊をなされたのは死を見た汚れをお洗いになったので
ある。死をみればその穢が身体にこびり着いた様に考えられて、洗わねば気が済まぬ
のである。身滌を以て消毒せねば安心が出来ぬのである。

 この考えは後になって支那の五行説、密教なども、六根清浄を唱えたから、之と結付
いて益その考えを強うして、平安朝の神経過敏な時代には触穢と唱えて、中々厳重な規
則を以て之を避けることになった。延喜式に(今から見ればあまりに仰山な事であるが)
すべて穢に触れたものは、神事に與からしめず、又朝廷に出る事を許さぬ。甲は三十
日、乙は二十日、丙は十日等とそれぞれ式には規則があって死人のあった家のものは
甲の穢にあたり、其家に出入りしたものは乙の穢で、乙の穢の人の家に出入りしたもの
は丙の穢にあたるという様な定があった。少しでも死人という事に関係があれば、それ
から穢を受けるものと信じたのである。

 天慶八年八月三日宣令を伊勢に送ろうとなされたとき一公卿が喪中の家に行った後
で、参内した事がわかって宮中一同穢を受けたことになり、十三日たってもまだ除かれ
ずとうとう宣命使派遣の事がお止めになって佐衛門の陣の外で之を奏せられたいという
事である。
 又嘉承二年に京都のものが死人の骨を尾張から持って来て家に置いたがその家の僮
僕等はそれとも知らずに、京中の町を歩き廻った事が分かった。サァ大変、京都中の大
騒ぎとなって「近者穢遍満京中」といって大騒ぎをした。丁度今日のペスト騒ぎと同様な
有様であろう。この騒動からその取締も更に一層厳密になったのである。

 今日の服忌令は武家時代のものが、そのままで伝わって居るものらしいが、この服忌
令というものも、親族の死を悲しみ、其後始末をするというよりも、もとはこの触穢の思
想から出仕を遠慮するという事から起こったのである。今日では諸官省の役人たちは定
めの忌服を受けますという届書を出すと、当人の都合をみはからって長官から除服出仕
という辞令が来るので服忌令は殆ど空文に属して居る。

 延喜式時代には死の穢ばかりではない。五体不具穢というのもあってこれは二十日で
ある。この触穢を面倒がって死人がある時は竊(ひそか)にこれを川原にもって行って棄
てた事などは歴史に度々見えて居る。これ等は人に関したものであるが、家畜の穢もあ
って、家に畜った牛や馬が死ねば、五日間の忌を受ける定であった。公卿の馬の死んだ
為に穢が都に遍満した騒ぎなどもあった。家畜にまで五体不具穢というものもあった。こ
れらはすべて死を忌むところから来たのであるから、生まれるのには穢が無さそうに思
われるが、出産は出血等もあって汚いものであるから、産穢というものも中々やかまし
い。流産は三月以内のは忌が短いが、四月以上になれば、人の死と同等に見做して三
十日の忌である。この産穢がまた家畜にも及んで、馬が産をしても穢をうけ、犬猫が子
を産んでも亦穢となる。流産も同様である。式に六畜死五日産三日とあるが、このm書
は中々に面白い。鶏が卵を産む度毎に人が忌を受けてはたまったものでは無い。こんな
風に穢を忌んだ為に、宮中の馬が死んだ為に釈尊の儀が急にやめられたり、犬が死ん
だ為に大極殿の行幸がやんだりした実例がある。尤もこうなっては中々にえらいもので、
決して犬死では無い。死して余命ありというべしである。

 妊娠も同様に穢であって、ただし妊婦のみならずその夫も穢を受けるのである。宮女
が妊娠すれば直ちに其家に下げられたのである。月経の穢も亦もとよりあり。八丈島の
産婦が忌まれる事は今でもあるそうであるが、こういう風に婦人は穢れる場合が多いか
ら一般の祭祀儀式には関係出来ず、表向のマツリゴトにはたづさわらぬ事が多い。それ
故之を賤しむ風も自然と伴ったのである。我国の男尊女卑は已に男神女神の唱和の時
に女神の先ず唱えられたによって、蛭子の神の生まれたという話によって明瞭である。

 従来は仏教で女人を賤しむ風があるからその影響とばかり思っているが、実はこの触
穢の考が主な原因であったろうと思う。又その外に火の穢というものがある。火を神聖に
する事は波斯が最も著しく他国にも例は多いが、日本の祭祀でも火をつつしむ。その方
面ではなくして、伝染の恐れからして火で焼けたり、又火事場に近づいたものは穢を受
けるのである。これはこれにあやかって火事が起こるまいかとの心配からである。それ
であるから火事が起こっても消防に従事するものが無くなって京中に延焼した様な珍事
が起った。これが為に、後にはこの穢は廃止せられたのであった。

 元来物事には頓着せず、快活であるべき日本人が何故にこの様な神経過敏に陥った
かといえば、これはつまり生を愛し、現世の幸福を願うという事の考の嵩じたのであっ
て、即ち大祓の詞が鎮火祭の詞と全く同じ精神である。御門祭といい、御殿祭といい、皆
禍の神を拒ぐのである。

 遷却崇神詞は禍の神を追い払うのである。祝詞の文は一つとして現世の幸福増進を
主眼としないものは無かった。これが嵩じて平安朝の弱い女らしい時代には、殊にこの
様な神経過敏になったのであろうと思う。而してこれがカミを敬う祭祀即ちマツリゴトとい
う様な関係のある事はいうまでもない。むかしの希臘人や羅馬人も清浄を貴んだ。併し
それは間もなく無くなって仕舞ったが、日本は上代から今日まで祭政一致の国体を発達
させて、今日でもまだ続いて居るから、太古の思想はいつまでも保存されて居るのであ
る。太古の穢を厭い、吉祥を願う思想はカミ即ち神社と皇室とに対して同様に慎しむ事
になり、吾人もカミに対しては自ら清浄潔白を守らなければならぬ様になったのである。
強ち自己の生欲の為にばかり潔斎するのではない。今日は習慣已に性を為して仕舞っ
たのである。

 この思想は今日でもまだ歴然として居る。大祓は暦にものって居り、朝廷にも実際御
儀式がある。民間のは前にもいった通りである。女は穢れたもので富士山には上れぬ。
伊勢には参宮が出来ぬといったのは近い頃までそうであった。婦人の穢の為に山が荒
れたという様な事は今日でも登山の先達がいうのである。又産後三十日は神社の鳥居
をくぐってはならぬ。生まれた子も同様である。三十日の後に始めて宮参をするのであ
る。葬式から帰って来れば門口で塩をふりかける、火をうちかける、などというのは、皆
この穢を忌む習慣が残ったのである。服忌令の事は前にいった通りである。神前には御
手洗がある。古今集の

”恋せずとみたらし川にせし禊 神は受けずぞなりにけらしも”

のみたらしである。どこの神社仏閣にも手水鉢がある。印度では牛糞を焼いて真聖なも
のと思うそうだが、こんな事は日本には許されぬ。氏神の社内は清浄の域である。小便
してはならぬという御札に鳥居の絵を書いたのは今もまだ折々見受ける。西洋人は靴と
帽子を一ヶ所の箱に入れたり、用便を足しても、手を洗わぬ。これは日本人としては出
来兼ねるのである。目上の人の前へ出る時は勿論、儀式等の時には必ず手を洗い、身
を清ねばならぬ。西洋人は唯髭を剃るばかりである。日々の拭き掃除、家の中をキチン
と片付けて置くのが家婦としての責任である。庭園にも塵一つもない様にして置くのが其
務である。一年の末に行う「すすはらい」はつまり家の中の大祓である。大晦日の年越し
に湯に入らぬ人は日本国中乞食ならばいざ知らず、其外には一人もなかろうと思う。年
の暮れには厄払いが戸毎を廻る。正月の幸若万歳又能でも、狂言でもさては猿回し、鳥
追いに至るまで皆国を祀し、家を祀し、人を祀し、サッパリと新しくなった心持になって、
更に将来の慶福を思うのである。

”元旦の見るものにせん富士の山”

は、この満酒とした心持をよんだもの

”元旦や家にゆづりの大刀佩かん”

”元旦や神代の事もおもはるる”

は、この元旦に際して家の昔、国の昔を思い出した情である。
元旦の儀式は神祭の儀式を其儘の保存して居る。注連縄三方にゆづり葉、ほんだわ
ら、素朴の風、簡古の風、単に一年の改るのでは無い。げにも人をして太古の世に返ら
しめるのである。正月は実に日本の家庭の精神である。今の人の近県旅行は、甚だ其
意を得ぬ次第である。

 祭神の具正月の飾り物も、品料は新しいのを用いる。麁末なことは厭う所で無い。火
にしても神に捧げる火は新しく打出さねばならぬ。朱塗の箸よりも、割箸の方が、清浄で
ある。緞子の布団よりも荒蓆の方が清浄である。万葉の

”物皆は新しきよし唯人はふりぬるのみしよろしかるべし”

は正にこの思想をあらはしたものである。

 粗、麁、荒ちいう語は皆アラである。新はアラで同じ語根の語である。何でもアラモノ
(荒物、新物)を用いねばならぬ。アタラシ、それが音韻転化でアタラシとなったか古語の
アタラシ、俗語のアツタラモノ皆可惜の意義である。万葉集は、惜の字をアタラと読んで
居る。粗末でも新しいものはあつたらものである。貴いものである。生も古語アレである
が、アラフもこれら数語と同語根で、「洗う」は新しくする意味をもっているのである。身を
洗うことに於いて、心の穢も亦去って仕舞うというのは、上代の思想である。清浄を喜ぶ
国民が廉潔を貴ぶのは当然の事であろう。アラ物でさえあればよいという思想は、勤倹
質素の要素をなす。金銭よりも名誉を重んずる古来の気風は廉潔とは最もよく相投合す
る。今日の支那では、賄賂の公行は隠れも無い事実であるが、むかしから賄賂で罪を得
た話は日本には少ない。赤穂事件は原因が賄賂にあるので一層吉良の憎しみが増す。
近年の教科書事件は士風の頽敗の一徴候に外ならぬ。西洋は何にでもコムミッションを
取る。日本では金で禮をするのは失礼な場合が甚だ多い。ポツダムの王官には至るとこ
ろ皇宮警視の案内者に茶代をやって呉れるなと断りの札が立ててある。これは裏面に
於いて其大に行われる事を証明して居るのである。ネーブルで離宮の巡視に茶代をや
れば、手を触るべからずという品物も取ってみせる。ワイマールのゲーテ博物館では、
大公家の薄給を訴えた巡視もあった。これ等は皆余が実見した事柄である。独逸の判
事ブロスト氏は日本漫遊後の所感として、汽車の車掌、巡査等に茶代をやったが、決し
て取らなかったことを感心して話した。日本のこの美風はいつまでも保存せられるであろ
うか。

(「国民性十論 『清浄潔白』」 芳賀矢一より)






戻る
戻る