< 伝承 仏教神話 V\>

〜 ブッダとニーチェ 〜


 『政治的問題に対立する倫理的な中心問題は、同情に関することである。他人の苦悩
によって不幸とされるという意味の同情は、ある程度まで人間に生来存するものである。
幼い子供は、他の子供が泣くのを聞くと悩まされる。しかしこの感情の発展は、民族の
異なるにしたがって非常に異なっている。或る人々は拷問を加えることに快を貪る。他の
人々は、ブッダのように、いかなる生けるものでも苦しんでいる限りは自分らは完全に幸
福とはなり得ないと感じる。多くの人々は感情的に人類を友と敵とに区分し、友に関して
は同情を感じるが、敵に対してはそれを感じない。キリスト教や仏教のような倫理学はそ
の情緒的な基礎を普遍的な同情のうちにもっている。ところがニーチェの倫理学はそれ
を同情の完全な欠如のうちにもっている。そこで問題はこうなる。
・・・もしもブッダとニーチェとが対決せしめられることになると、そのいずれが、公平な聴
衆に訴え得る議論を提出し得るであろうか?わたくしは政治的な議論を考えているので
はない。ヨブ記第一章におけるように、万能なる神の前に両人が現われて、神がいかな
る世界を創造すべきかについて助言を与えるのを想像できるであろう。いずれが何を言
うであろうか?

 ブッダが議論を説き起こして語るのは、次の人々についてであろう。
・・・カーストから除外された人々、哀れな人々、手足がうずき乏しい栄養で辛うじて生き
ている人々、戦争で傷つき、徐々に苦悶しながら死にゆく人々、残酷な管理者に虐待さ
れている孤児たち、最も成功を収めても失敗して死にはしないかと思ってびくびくしてい
る人々、これらの一切の苦の重荷から救いの道が見出されねばならぬが、救いは愛に
よってのみ得られる、とかれは言うであろう。

 神のみが制止し得るであろうと思われるニーチェは、かれの番が来ると、がなり立てる
であろう。
 「おや、人間よ、もっときつい性質にならねばならぬ。つまらぬ人間が苦しんでいるから
とて、どうしてしくしく泣くのだい。或は偉い人々が苦しんでいるからと言うのかい?つまら
ぬ人間はつまらぬことで苦しみ、偉い人間は偉いことで苦しむのさ。そうして偉い苦しみ
を悔やむことはないさ。かれらは高貴なのだから。君の理想は純粋に消極的なもので、
苦悩の欠如なのだ。それは非存在によって完全に得られる。おれは反対に積極的な理
想をもっている。おれはアルキビアデースや皇帝フレデリック二世やナポレオンを崇拝す
るものだ。そのような人々のために苦悩も甲斐のあるものだ。主なる神よ、最大の創造
的芸術家なるあなたに訴える、芸術家としてのあなたの衝動がこの哀れな病人の頽れ
た恐れにおののいた駄弁に引きずられないようになさいよ」

ところがブッダは、天界の宮殿にあって、かれの死後に起った歴史全体を知り、科学を
習得して、その知識を喜び、しかし人間が行った科学使用法を悲しみながら、冷静な上
品な態度で答える。
 「プロフェッサー・ニーチェよ、わたくしの理想を純粋に消極的なものだと思うのは、まち
がっていますよ。なるほど、それは消極的な要素すなわち苦の消滅ということを含んでい
ます。しかしその上に、あなたの教えの中に見出されるのと全く同じだけ積極的なものを
もっているのです。わたくしは何もアルキビアデースやナポレオンを特に崇敬するもので
はありませんが、わたくしだってわたくしなりの英雄をもっています。わたくしの後継者イ
エス。だって、かれは人々に敵を愛せよ、ということを説いたからです。自然力を支配し、
少ない労働で食物を確保する方法を発見した人々。病気を減少する方法を示してくれた
医学者。神聖なる至福を瞥見するを得しめた詩人、芸術家、音楽家たち。・・・これらが
わたくしの英雄です。かれらこそいままでに生存した最大偉人の生命を充実してくれる
人々です」

ニーチェは答える。
 「やっぱりあなたの世界はつまらないですなあ。あなたがヘーラクレイトスを勉強なさい
よ。かれの著作は天国の図書館に完全に保存されているのですよ。あなたの愛は苦痛
によって引き出される同情にすぎない。あなたの真理は、正直にいうなら、不愉快なもの
です。苦痛を通してのみ知られるものだからです。そうして美に関しては、獰猛であるが
故に光輝ある虎よりも以上に美しいものがあるでしょうか。いや、もしも主があなたの描
く世界に味方して決定を下すなら、われわれはすべて退屈して死にはしないかと恐れて
いますよ」

ブッダは答える。
 「あなたは死ぬかもしれませんね。あなたは苦痛を愛するのだから。そうしてあなたは
生を愛するのはごまかしです。しかし真に生を愛する人々だったら幸福でしょう。現在の
世の中では、誰も幸福ではないのですから」

 わたくしとしては、思い浮かべたようなブッダと一致する。ただし、数学や科学の問題に
ついて用いられるようななんらかの論証によってブッダの言が正しいということをいかに
証明すべきか、わたくしには解らない。わたくしはニーチェが嫌いだ。かれは苦痛を思い
つづけるのが好きだから。・・・かれが最も崇敬する人々は、人間を死なせることに巧み
なことを栄光とする征服者たちであるから。しかし、わたくしの考えるところでは、不愉快
だが内的に首尾一貫している倫理に対するようにかれの哲学に対する究極の反対論証
は、事実に訴えることではなくして、情緒に訴えることのうちに存する。ニーチェは普遍的
な愛を軽蔑する。わたくしは世界に関して望ましいすべてのことに向かわせる動機はそ
の普遍的な愛だと思う。かれの信奉者たちは今まで時めいていた。しかしそれは急速に
終りに近づいていると考えてよいだろう』

(バートランド・ラッセル)









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