< 伝承 仏教神話 41 >

〜 大乗非仏説論 〜


 仏教中で、小乗はともかくとしても大乗は釈迦牟尼仏の直接に説いたものでないという
のが、其主張の要点であるが、此説は当時仏教者の中から起こっているし、又これより
以前西欧に留学して西欧の学問の方法に通曉し、仏教にも造詣のあった学者の間にも
考えられていたことであるから、欧風流行の風潮にも乗じて強く主張せられた。然るに、
一般に仏教徒いうても実際的には各宗派であり、其各宗派は何れも何等かの意味に於
いて仏説を根拠として立っているものであり、我国としては各宗派は凡て大乗に属する
から、大乗が非仏説となっては、各宗派の根拠が動揺し、各宗派の教理は仏説でないも
のを仏説となして居ることにならざるを得ないから、仏教界は一大衝動を蒙るに至った。
従って、之に対して、大乗仏説論も起こって来るのは必然的で、両説は広く仏教者の関
心の的となった。
 大乗非仏説論者のいう所では、インドに於いて已に古く小乗教徒から大乗非仏説が主
張せられ大乗を排する説があったので、大乗教とは之に対して大乗仏説を論証せんとし
たし、シナに於いても亦其余波が存し、我国に於いては殊に徳川末期に於いて、仏典中
に根拠を求めて大乗諸説の歴史的に加上し発達変遷し、決して一仏の所説たらざるを
明示して居る所以が明かにせられ、仏教者の反撃も起こったが、然し、大乗諸説の加上
発達論は粉砕さられ得るものではなかった。恐らく、明治の大乗非仏説論も此徳川末期
のものと多少内面的の関係があったのだろう。
 大乗非仏説、仏説の両論は、現今から考えて見ても、何れも真理を含んで居るもので
はあるが、然し、仏説という語の概念に一種漠然たる所がある。仏説を梵語からいえ
ば、慣例上、仏語と訳されるのに当たるから、大乗非仏説は実は大乗経典非仏説論で
あるし、大乗仏説論は大乗教理仏説論であったのである。大乗経典の仏語に成ったも
のでないことは、経典の内容から見ても事情から考えても、また其言語から推しても、明
らかなことであって、到底否定するを得ないものである。之と同時に大乗の教理が仏陀
の思想の歴史的必然の発達であることも亦到底拒むを得ない事実である。非仏説論に
於いても決して教理の仏説たることに反対するのではなく、仏説論に於いても同じく経典
までも仏説となすのではないから、両論は互いに相反し相排するが如くであっても、いは
ば相互に相容れて居たのである。

 非仏説、仏説の両説の行われた当時の仏教界は、維新後の大打撃から独自に立直り
つつ、仏教自らの進む方向を朧気ながらも明らかにするを得た頃であって、当時以前我
国文化の凡ての方向が西欧化せられ、文化の方面も欧風が盛んであったに伴われて、
仏教も欧風の影響を受けたことも大なるものとなった。従って研究の方面に於いても西
欧的になったが、其中の一つは言語の研究の勃興し、歴史的研究の盛んになったことで
あった。この言語研究が進められると、大乗非仏説論は殆ど不動の基礎を得ることにな
り、歴史的研究に助けられて、益々一般の承認を得ることになるのである。大乗非仏説
論を高唱した人々の間には猶未だ言語的の論拠は殆ど考えられて居なかった如くであ
るが、仏教界に於いても、望ましからないにも拘わらず、非仏説論は、大勢上、承認せ
ざるを得ない傾向、少なくとも之を排斥し否定せられない如き風潮となった。然し、仏教
者としては、たとえ仏は大乗経典の説者ではなかったにしても、仏教には大乗経典の外
に小乗経典があり、それが従来は卑近なものとして殆ど顧みられなかったにしても、そ
れだけ仏説を含んで居るであろうというが如き希望が向けられることになった。

 

 
 実は釈尊の実用した原語は何であったかは、学問的には、現今よくは判らないのであ
るが、判らないからパーリ語がそれであると主張せられ得るに至るというのでは決してな
いのみならず、古い層のパーリ語すら、釈尊の用いた言語であると、しかく簡単に断定
することは出来兼ねるのである。現今、学者はパーリ語の聖典以前の言語なるものを考
えて居るほどである。



 釈尊の思想又は学説として後世に伝わったのは何によったかといえば、一に聴者が説
法の梗概要領を把捉した所が基となって伝わったに外ならないのである。然し、梗概要
領の把捉とすれば、これは聴者によって全く同一であるが如きことは、人類の一般性質
上、全く不可能なことで、聴者の性格、事情、要求其他複雑な条件事情によって種々に
異なることは拒むを得ない事実である。仏教で、ここを「仏以一音演説法、衆生随類各
得解」というが、これはどこまでも真理である。然らば、何人の把捉した所が、釈尊の説
法として伝わったのであるか。それは、簡単に、最も優れた弟子等の把捉しとものであっ
たと見做したにしても、釈尊が個人個人に説法したとして伝えられている如き説法はどう
して伝わるに至ったのであるか。かかる問題は実に種々なる方面に及んで考察さられね
ばならないが、ともかく一括していえば、阿含経に伝えられる凡ての釈尊の説法等の何
れも皆悉く聞いた者から伝わったものであって、釈尊自身から直接に伝わったものなど
は全く存しないといわねばならぬ。説く人と聞いた人とでは、たとえ趣意が異ならないとし
ても、それが全同であるとはいえないものであることも事実である。故に、釈尊自身の語
などは、聞者を介さなくては、一語も伝わって居るのではないといわねばならぬであろ
う。聞者の語のみが阿含経に伝えられて居るのであるから、此点では、小乗経典非仏説
論も成立し得るであろう。然し、此の如く考察するのは阿含経の全部が全く信頼し得べ
からざるものであると断定せんとする趣意ではない。全部が悉く信頼し得べきものではな
く、新古層中の最古層には忠実に聞者の把捉した所が髣髴として示されていると認めん
とするのであるが、然し、言語上発達変遷があったとすれば、そこに翻訳的の変改のあ
ったことも考えられねばならないとなすのである。問題は極めて細緻でもあり深刻でもあ
るので、軽々に決断せられ得るものではない。

 釈尊自身の説というも、実は釈尊の説法は凡て聞者を介して居るから、当然、釈尊並
びに其直弟子の仏教を指すことにならざるを得ないが、それを知るべき資料としては現
今の阿含経は其ままでは資料たり得ないということである。
 そこで、然らば何によって知ることに努むべきかについては、第一に釈尊当時に於け
るインドの思想を明らかにし、第二に釈尊がこれに対して如何なる態度をとったかを、釈
尊の伝記から究明し、第三に阿含経の最古層の批評的考察によって用いて、推論的に
纏める方法に據らんとするのである。かくして結論したものを根本仏教と称するが、名称
は同一でも、前の根本仏教とは全く相異なる。此根本仏教はインド思想の二大分野たる
正統バラモン系統と一般社会系統との二潮流に対して第三潮流たるものの源をなして
居るのである。然し根本仏教は推論の上に成立するのであるから、凡て学者が全く同一
の結論に出づるとは期待するを得ないものである。

 
(宇井伯寿)





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